半兵衛麸

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歴史を知る

麸の歴史

麸の伝承

麸は、室町時代に中国へ渡った修行僧によって伝えられました。
中国では、小麦のことを「麺(めん)」と呼んでいたことから、強い粘りとコシがある小麦たんぱくは「麺(めん)の筋」という意味の「麺筋(めんちぇん)」と呼ばれており、当時の麸は、石臼で挽いた粗い「挽き割り小麦」を水で練ってこね、水の中で洗い、澱粉と分離させた「小麦たんぱく」のことを指しました。
当時、肉食を口にしないなどの厳しい戒律の禅僧にとって、良質な植物性たんぱく質である麸は、豆腐や湯葉と同じく貴重な栄養源とされ、寺院の中で育まれました。
当時は小麦の作付け量は少なく、挽き割り小麦は高価で、一般には口にすることは出来ず、宮中や僧堂で特別な時にのみ食されるものでした。

江戸〜明治

江戸時代になると、麸は宮中や寺院から、懐石料理や茶会、法要の料理として町衆にも食されるようになりました。
天保年間の茶会記には菓子として「ふのやき」が多く記載され、当時の茶人にも好まれていたことが伺われます。
また、江戸時代の書物「食物和解大成(元禄十一年刊)」や「當世料理(嘉永六年刊)」にも麸に関する記述が見られ、町衆にも広まっていったことが分かります。
明治時代以降の産業の発展に伴い、それまで石臼で挽いていた粗い「挽き割り小麦」に代わって外国からきめの細やかな精白小麦粉が伝達されると、そのきめ細やかな粉を使った麸づくりが始まりました。
精白小麦粉を原料にした麸はかつてないなめらかな食感を生み出し、細工ができるようになりました。その技術は現代の美味しい京麸づくりの基礎となっています。
また、すき焼きにやき麸を入れるようになったのも、明治の牛鍋以降の定番です。

現代の麸

日本には、「京麸」だけでなく仙台の油麸、山形の庄内麸など各地方にそれぞれの地域の特徴に合わせて発展したやき麸があります。その中で京都のやき麸は、宮中や寺院で育まれてきたことから、肌の白いお麸が特徴です。
また生麸は、物流の発達により料亭や寺院から、家庭でも料理されるようになりました。
一緒に調理する食材の良さを吸収する魅力により、京料理の枠を超えて幅広い料理法でアレンジされ、プロからも感受性を刺激する食材として愛され続けています。
また、伝統的な和食用のお麸だけでなく、チーズやハーブを練り込んだお麸や、お菓子にアレンジしたものなど、今の食生活にあわせたお麸もつくられています。

半兵衛麸の歴史

江戸中期~後期

「麸」は室町時代に中国から伝わり、寺院や宮中で育まれてきました。熊野三山の奥宮の玉置神社がある玉置村より、宮中の料理人(大膳亮)として京に来ていた玉置半兵衛が、宮中で覚えた麸づくりの技術で元禄二年(一六八九年)に京の大徳寺近くの町でお麸屋を始めました。

三代目の三十郎(初代半兵衛の孫)はその頃石田梅岩先生の石門心学を学び、また自分も雅号「宗心」の名をもらい、講を開くまでになり、今も続く半兵衛麸の商売の姿勢を築きました。

代々の当主は、初代から受け継ぐ麸づくりの技術と三代目の教えを守り、江戸時代後期にお料理人が集まる魚市場がある問屋町通りに移転しました。(現在も本店があります)

明治時代

明治維新を超え人々の生活は大きく変わりました。
産業革命により、石臼で引いていた挽き割り小麦から、きめの細かな精白小麦が誕生しました。

九代目虎治郎は、いち早くきめの細かな小麦を使った新しいお麸を考案。
内国博覧会等で数々の賞をいただきました。
また、寺院からのご要望でゆばの製造を始めたのもこの頃です。

昭和初期

戦中戦後の食糧難の時代、小麦は統制品となり自由に手に入らなくなりました。

十代目四郎之助は、闇の小麦を使って麸をつくることは、ご先祖が守ってきた暖簾を汚すことになると休業し、商いの正道を貫きました。

昭和中期~後期

戦前からのご贔屓の寺院や料亭に支えられ、昭和二十八年に商いを再開しました。

昭和四十年、京都中央卸売市場にも店を構えました。また小売販売にも力を入れ、百貨店の催事などにも出展するようになりました。

昭和五十二年「京麸」を登録商標として申請。昭和六十年「京麸」は半兵衛麸の登録商標として登録されました。
昭和六十年、お料理法の紹介のために京町家の中に茶房を開店しました。

平成

流通が発達し、全国のお料理屋さんやご家庭でお使いのお客様に商品をお届けできるようになりました。

和食に限らず洋・中華、スイーツなどのお料理法を考案、レシピ本の出版やお料理教室なども開催し、今の食生活にあわせたお麸料理の提案を始めると同時に、日本の食文化のもつ心(精神)をお伝えしたいと活動をしております。
新コンセプトブランド「ふふふあん」を立ち上げ、京麸の可能性を広げました。

時代が変わっても or そして… 半兵衛麸の描く未来

麸は、京都の文化、日本の文化とともに発展してきました。半兵衛麸も麸の発展とともに歩んでまいりました。

お麸は、栄養豊富な伝統食材としてだけでなく、時に四季を感じさせ、食卓を彩り、人の心を豊かにすることができます。

半兵衛麸は、先人から受け継いだ技術と家訓「先義後利」「不易流行」の精神を守り、「京麸」と「しにせ」に責任と誇りを持ち、常に一歩先を見て、人の役に立てる行動で、次代へも「京麸」に込められた心をつなげ、伝えていきます。